古代、倭姫命が天照大神を伊勢に祀るにあたり、その御贄所(おんにえどころ/神宮にお備えする魚介類の漁場)に篠島を選定し、神領として荒魂宮を祀りました。さらに贄所守護のために宝亀2年(771)に伊勢神宮より土之宮を篠島に勧請し、その後、荒魂宮、土之宮を一社に祀り「伊勢土之宮」と尊称しました。 土之宮を勧請してからは、伊勢神宮に参拝する者は「宮巡り」と称して、篠島に渡り必ず伊勢土之宮に参拝する慣わしとなりました。後世に神明宮と改称され、さらに明治中期より神明社、昭和20年代に神明神社と尊称しています。
20年のときを経て、島の大工による御造営を待つ神明神社の旧社殿。
海神であり船の神様として尊信されている八王子社は、鎌倉時代中期の正応元年(1288)9月に、伊勢国渡会郡の箕曲大社より勧請した神社として伝えられています。社殿は神明神社と同様に伊勢神宮の御遷宮の折りに造営されていましたが、中古以来は、神明神社の御古材によって八王子社の社殿を造営しており、八王子社の御古材もまた、島内のお社になります。 永正14年(1517)3月には、箕曲大社の神宮が獅子頭八頭を度会郡山田郷の8社に納め、そのうち一頭が八王子社に奉納され御神宝として大切に守られています。
八王子社の旧社殿。神明神社から受け継いだ柱は40年の歴史を持つ。